2009年06月29日

水無月

6月の初めに「水無月」の件は別稿で、と書いた儘に為って居た。 自らの発言には責任を持ちたい… な〜んちゃって、では有るが、余りに酷過ぎ、泣きたい程に情けない(過剰表現)風潮の昨今で有る。

勿論、「水無月」は旧暦の6月の呼称だが、今では新暦の6月を洒落心/風流を気取って、こう呼ぶ機会が多い様だ。 古い月名の語源なら、以前に「師走」の項で言及した「奥義抄」を紐解くのが第一歩と為る。 其処には、以下の様な記述が有る。 「農事がみな為尽(しつ)きてしまうので『みなしつき』といったのを誤った」 農事と云うのは、田植の事を指すが、田植だけを大仕事とする論拠が弱い。 其れに、奥義抄には「…を誤った」と云う記述が多い。 確かに伝聞を重ねると音は変移するのは当然なのだが、「誤り」で片付けて仕舞うのも安易だ。 亦、「5月に植えた早苗(さなえ)がみな根づいた意からだ」と云う異説も掲載して居る。
だが、このふたつの説は余り有力視されて居ない、と云うか知られて居ない。 一般に解説されて居るのは、主に次の3説だ。
1.梅雨が明けて(新暦では7月だから)水が涸れて無く為る月なので、文字通りの「みずなしつき」。
 旧暦5月は梅雨のタイミングにも拘わらず、水や雨に関係の無い「皐月」を名称とした事との繋がりを考えると納得し難い。
2.田植が終わって田圃に水を張る月なので、「水張月(みづはりづき)」、或いは「水月(みなづき)」。
3.「無」が「の」という意味の連体助詞の「な」として、「水の月」とする説。
 此方は神無月の場合との比較検討をすると頷き難いものが有る。
小生としては「水張月」が転じて、「水月(みなづき)」と為った説に傾くが、其処に「無」の文字が入った理由は明らかに出来ない儘だ。 此処にだけ都合よく、連帯女子、いや、連体助詞を持ち出しては為らない。

水無月の 憂いはこぼれ ひとしずく           萌香
                      (livedoor ハイクブログ)

Baku


posted by claris1 at 04:23| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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